喉仏
壊れそうなくらい あなたが好き
竜崎、と名前を呼んでも返事はなかった。
コンドミニアムは静まり返っていて、外も雨はふっていないみたいだ。低めにしておいたのにエアコンは省エネ温度に変えられているし、脱ぎ散らかしていた衣類は几帳面に畳んである。
「やっぱり、帰ったのね」
仕事が忙しいことは知っているし、不条理な二択を迫るつもりは毛頭無いけれど……、正直、寂しい。竜崎と体を重ねるようになっても、竜崎と共に朝を迎えることが無い事を。
会えばすぐに貪るように愛し合い、それはそれは満足させてくれて、疲れた体をバスタブに入れてゆっくり会話して、寝るためにベッドに臥せる。
満ち足りた気分で眠りに就いて、目覚めにはあなたがいない。
これを寂しいといわずに何というのか。
珍しく三日と空けずに、更に昼間に竜崎が来た。
「どうしたの、珍しい」
そう言って私は招き入れた。竜崎が来るのは決まって私が夕飯と片付けを終える夜も更けた時間帯だからだ。一応ブランドものの私の靴の群に竜崎の履き潰している靴が交じってとても不思議な様を作っている。
「珍しいって貴女…他にコメントはないんですか、」
「珍しいものは珍しいのよ。ただいま紅茶もコーヒーもも切らしておりますが」
「三つ目が切れてるはず無いでしょう? それより切らしているところ大変申し訳ないのですが何か飲むものをもらえませんか」
外は相当暑いらしい、竜崎はうっすらと汗をかいていた。飲むと余計汗をかくのに、と思いながら烏龍茶を出した。一つしかないペアソファーに並んで座る。
「あぁ、ありがとうございます」
飲むたびに動く喉仏をじっと見ていた。ごくごくと、あぁ竜崎は男なのだ。
「、何見てるんです?」
えぇ喉仏を、と言おうとして口籠もってしまった。
いつもと違う時間だからだろうか。竜崎との距離が測れない。私がもごもごしていると
「今日はどうも具合が悪いですね。昼間だからですか」
と見透かしたように言う。驚いてまた何も言えずにいると
「今日の最終便で日本を発ちます」
と追い打ちをかけてきた。
「そ……それはまた、随分と急な話ね」
しどろもどろとなんとか言葉を返す。いつかは来るとわかっていたけど、予想以上にショックを受けているようで、平静を保つのがなかなか難しい。
「わざわざそれを言いに?」
「えぇ、随分と世話になりました」
「まぁ、ずいぶんと淡泊にいってくれるじゃない。手土産もなしに」
「欲しかったですか? なら今からでも手配しますよ、前に欲しがっていたグッチの…」
「あぁ、それ自分で買っちゃったわ」
そうですか…と淋しそうに呟くのが聞こえた。
「何、何か物を買い与えたかった?」
「そういうわけでは…」
「そうよね、私も金には困ってないもの。……でも、別なものには困ってる」
どうやって切り出そう。こんな昼間から、品の無い女だと罵られてしまうかもしれない。ちらりと竜崎の顔を見れば、やはり呆れたような顔で……でもどこかうれしそうな顔をしていた。
「さっき切らしてるって言ってませんでしたか」
「お見通しな訳ね…でも、折角来てくれたんだし」
喉仏を見ていたらそんなことは忘れてしまっていた、というのは伏せておいた。
「すみません、私は初めからコノつもりだったんです」
竜崎は空になったグラスを近くのテーブルに置いて、私を、ぎゅうと、抱き締めてくれた。
「竜、崎」
「誘ってくれなければ帰らなければならないところでした」
少し体を離して、ゆっくり口付けをした。
「んっ…時間は…んん、いいの?」
ついばむようなキスを何度も受ける。黒い、ブラックホールのような瞳と目が合う。
「心配いりません」
宣誓のような声音でそう断言して、口付けの仕上げだと言わんばかりに深く深く侵入してくる。何度も角度を変えて、息を継ぎ足し、濃厚な口付けを続ける。その間に私は何度も竜崎の背を撫で回して、竜崎は私のブラウスのボタンを残さずあけてしまった。
「、貴女に会えて本当によかった」
「こんな初めから終わりのようなコト言わないで」
「勿論、終わりにする気はありませんよ。これからなんですから…」
意味深そうに言う理由を問う間もなく軽く口付けをし、ゆっくりと私の頭の左側に頭を下ろし左の耳たぶに舌を這わせる。
「」
左耳に竜崎の少し擦れた声が入ってくる。名前を呼ばれる度にひどくドキドキしてしまう。つい何度も呼んでほしくて私も何度も竜崎の名を呼ぶ。これが彼の本名じゃないと知っていても。何度も、何度も。
マンションのすべての戸が防音なのを良いことに、私は散々啼かされた。
「満足?」
聞いた私の声は出し過ぎで少しかすれていた。
「えぇ、八割方は」
やさしい手つきで私の髪を撫でながら竜崎は答えた。
「…それ本気? 私もう立てないくらいなのに」
「本気ですよ。出来ればここで死にたい」
「やめてよ、貴方一人で死ぬなんてずるい」
「まぁ死ぬまで、は半ば冗談ですけどね。
…足りないのは本気です」
ちゅ、と額に唇を落としてくる。
「ちょっと、そんなことじゃ誤魔化されないんだから」
「誤魔化すつもりなんて無いですよ」
不意に竜崎がマウントポジションに移動してきた。勘弁してよ、と押し退けようとしたら、竜崎は酷く真剣な顔をしていた。私は竜崎の目に射貫かれたように動けなくなった。
「、出来れば次の問いにイェスで答えていただければ嬉しいんですが」
「問いにもよるわ」
余裕ぶってそう返したけれど、ダメだわ、雰囲気に飲まれて何の問いでもイェスと答えてしまいそう。ゆっくり竜崎が口を開いた。
「一緒に行きませんか」
「……どこに?」
「…………私と、世界中に」
「えぇと、ちょっと待って。うぅん、頭がよく回っていないみたい」
「そうですか。残念です、そろそろ此処を発たないと飛行機に間に合いません」
「わ、私には仕事もあるし、い、今から発つと言われてもすぐには行けないわ。この、マンションだって、あるんだもの」
ごそごそと服を着始めた竜崎にあわててそう言った。
「わかっていますよ……わかっていたんです」
よいしょ、とくたびれかけている長袖を着る。ずっと、私に背を向けたままで。
「、イェスでもノンでも言っておかなければならないことがあります」
「こっちを向いて言って」
私が間髪を入れずに言うと、竜崎が渋々とこちらを向く。
「……。
私とくるなら、貴女もホテルにほぼ缶詰です」
私はベッドから上半身を起こして竜崎の方を向いている。シーツを肩から体に巻くように羽織っている。
「えぇ、それで?」
「私は本来ならホテルから出るべきではありませんし、出ることはしたくありません」
「それじゃあデートは出来ないわね」
「…そうですね」
「それから?」
まだあるんでしょう? と問うと、竜崎はすこし眉間に皺を寄せた。
「えぇ。
貴女に会えてよかった、。情事の戯言なんかではなく、愛しています」
行きます、と寝室のドアを開ける。
「竜崎!」
慌てて呼び止めると、振り返ってくれた。
「返事を、聞いてから帰って」
END
返事の内容まで書こうかと思ったんですが止めました。
yesならnoだからノーだろ、とか思いつつ。ノン!
yesならnoだからノーだろ、とか思いつつ。ノン!
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